先日、久しぶりに妻と外食をしました。
徒歩圏内にある、ネパール人がやっているカレー屋さん。ネパール料理というよりたぶん「なんちゃってインド料理」なのでしょうけれど、味はおいしかったです。
サラダが器からこぼれるほどにてんこ盛りでした。笑


ナンのおかわり無料だったので、小さめに作ってもらっておかわりしました。
ところで、こういう店のラッシー、マンゴーラッシーというのはどこの店に行っても同じ味のものが出て来ると思うのですが…
何か「業務用ラッシーのもと」みたいな商品でもあるのでしょうかね。
いずれにせよ、お腹パンパン。ごちそうさまでした。
そして今日は、父の施設に届け物をした後、街道沿いにある「コメダ珈琲店」に寄りました。遅めのお昼を食べるために。
隣の席が女子高校生4人組で、楽しそう、かつにぎやかに会話していたのですが…
耳に入って来た話題を聞くともなく聞いていると、たとえば大学に進んだら何を勉強したいか、という話。
いわく「社会っていう形のないものを、統計化することで目に見える形にするのが面白そうだから、社会学をやりたいな」とか…
「いま、いろいろ病んでる人が多いから、心理学をやって公認心理士になりたい」など。
まじめに将来のことを考えていて、ちゃんと前向きに将来に夢を持っていて、感心してしまいました。
そうかと思うと、日本人の若者にしては非常に珍しいことに、政治の話題などしていて。
「日本って国会議員の給料が外国より高すぎるとかいうけど、秘書を雇うお金とかいろんな活動費もそこから自前で払う形になっているから、しょうがないらしいよ」
「給料少しぐらい高くても、ちゃんと国民のための政治をしてくれて、有能なら問題ないんだよね」
ほうほう…いろいろわかってるじゃないの、と。
何なら、選挙権を持っている、その辺のほとんどの大人たちよりわかっているかも。
女子高校生というと、おしゃれと彼氏のことしか頭にないのだろうと、馬鹿にしているおじさんおばさんたちに聞かせてやりたかったです。
もちろん、女子高校生といってもいろんな子がいて、こういう「意識高い系」は一部なのでしょうけれど。
でも、女子高校生という属性だけで「馬鹿」と決めつけるのはいけませんよ。実際にこういう子たちも存在するんだから。
帰るときちらっと見たら、まあ、外見も賢そうな子たちではありました。
場所がマクドナルドとかじゃなくて「コメダ」という、ちょっと価格帯お高めの店だったというのと、もしかすると関係あるのでしょうか。
残念だけれど、現代は親の経済力と子の学力との間に、相関関係が生じてしまっているのが現実です。
テスト勉強という特殊な方面の学力だけでなく、いろんな「意識の高さ」も、もしかすると経済力と関連してしまっているのかも。
だとすると、国が、社会全体が貧しくなると、若年層の人の知識量とか、思考力とか、社会性とか、さまざまな面でのリテラシーなども落ちて来るのでしょうか。
まあ、確かな根拠はない、推測に過ぎないのですが。
私は基本的に、ことわざというものが嫌いなんですけど「貧すれば鈍す」という言葉には、実態があるのでしょうかね。
もっとも、いわゆるヤングケアラーとか、貧困状態にある青少年とかだと、将来に希望を持つどころではないし…
大学なんて夢のまた夢、という子もいるでしょう。友達と外食なんて、したことない子もいるでしょう。
あの高校生たちは、とても恵まれた環境に生まれついた、ということですよね。
ついでながら、「イタリア語を習ってみたい」ということを言っている子がいて、個人的にちょっとうれしかったことを付け加えておきます。笑