アルファと私と小倉唯

愛車アルファロメオと声優小倉唯さんのこと、そして私の日常と考えたこと

学歴職業年齢その他…属性で人の知性や人格を判断するのは恥ずかしいこと

今秋発売されている『週刊文春』の「私の読書日記」は、俳優の橋本愛さん。取り上げられているのは…

 

ヘイトスピーチ愛国者たちの憎悪と暴力』(安田浩一著)という本。

 

橋本愛さんは、かつて朝ドラの『あまちゃん』で、主役の能年玲奈(現のん)さんと一緒にご当地アイドルコンビを組む親友を演じていました。

 

今は大河ドラマ『べらぼう』で、主役の蔦谷重三郎の妻を演じています。

 

橋本さんのこの文章、実に素晴らしい出来です。

 

一部を抜粋します。

 

日常的に排外的な行動をとる者もいれば、加害の自覚のない者や、自らのストレス発散や仲間を得ること、自己陶酔などの”手段”に重きを置く者など様々だが、彼らは自分の言動で、人を”殺せる”ことを知っている。それを望んでいる、あるいは、どうなろうと関心も責任感もない。「殺すな」という私たちの叫びは、「殺せ」というシュプレヒコールにかき消されそうになる。

 

しっかりと本が読めているだけでなく、現在の日本社会を覆っている、実にくだらない、しかし恐ろしい現実への批判になっています。

 

排外主義に関しては、昨日の石破茂氏の「戦後80年談話」にも取り上げられていましたが…

 

橋本さんの文章は、誰にでもわかりやすい文章で、簡潔かつ的確に本質を衝いているものです。

 

本職の物書きでもここまで書ける人ばかりではない。

 

新聞記者が書いたコラムでも、SNSの糞コメまがいの文章が大手を振ってまかり通っている今どきですから。

 

私も、橋本さんほどうまく書ける自信、いまやないです。いちばん書く力があったときでも彼女に及んでいたかどうか。

 

恥ずかしいですけど。勉強と、本読みが足りてない。橋本愛さんに多分負けている。

 

役者は台本を読み込むだけでなく、やる気がある人の場合は、その物語の原作や、背景となる参考資料も自主的に漁って目を通したりします。

 

橋本さんの場合は、そうした作業から、深く読書の世界に入っているのでしょうか。

 

彼女の場合、映画(ポルノ映画含め)や写真、ファッションなどにも造詣が深いようですが。

 

今29歳。俳優として、ようやく脂の乗り始める年齢です。

 

あまちゃん』からは、もう12年が経つ…のでしょうか。

 

着々と、役者として、人間として、自分を磨き続けているからこそ書ける文章だなと感じて、尊敬の念を覚えます。

 

 

ちなみに、橋本愛さんは「うちの娘」小倉唯さんと、高校のクラスメイトでした。

 

高校時代は唯さんの方が、テストで付く学校の成績は良かったはず。

 

その高校は、芸能クラスがある、日の出高校(現在は目黒日大高校)。

 

別に「偏差値」の高い「進学校」ではありません。

 

唯さんは大学に進学しましたが、橋本さんは進学はせず芸能活動に専念したようです。

 

橋本さんの文章を見せられると、人の知力・知性は、学校の成績や、学歴、偏差値などでは全く判断できないと、改めて思います。

 

もちろん「人格」も。

 

学校に関するあれこれだけでなく、職業とか年齢、出身や人種など、あらゆるわかりやすいラベルで「人をはかる」ことの愚かしさについても、改めて。

 

人間を見るときには、外見や属性ではなく、その人の言葉や行動で推量しないといけないですね。

 

本人が意識しない、ちょっとした表情や仕草に現れることもあります。

 

 

「うちの娘」を、かつての級友と比較しても仕方ないですけれどね。

 

彼女は彼女なりに、成長はしてると思いますが…

 

こういう文章は、書きたくても書けないだろうなと。

 

お客さんの層が、オタク中心になるのでね。

 

オタクは、見た感じ、全体の三分の二ぐらい、あるいはそれ以上が「ポリコレ嫌悪」「右寄り」のクラスタなので。

 

別にウヨっていない人たちでも、ポリティカルなことや社会問題についてのまともな言説には眉を顰めたり、迷惑がって逃げる人が、まあ95%以上のクラスタ

 

そんな環境で、橋本さんみたいな言説を、言ったり書いたりしたら、お客さんの95%は逃げてしまう。

 

それだけでなく、ネットでめちゃくちゃに叩かれて炎上し、精神的にやられて、キャリアが終わってしまうことでしょう。間違いない。

 

サブカル界隈というのは、そういうところです。それは、小倉唯さんも良くわかって活動しているはず。

 

でも、放っておいたら反動ウヨや、排外主義者になって、社会的な非行に走ってしまいがちな人々を、彼女のようなやり方で…

 

「暗黒面に堕ちる」ことから救っている、とも言えるかもしれません。

 

生きている生身の人を傷つけたり、社会を破壊するような行為をするぐらいなら、小倉唯さんの声の演技や、歌やダンスを見て喜んでいるほうが、どれだけマシであるか。

 

その辺は、十分にわかっていそうではあります。

 

 

 

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