音楽を聴く人は、歌の歌詞ってどのくらい意識的に聞いているんですかね。
最近の曲はBPMが爆速だったり、英語と日本語の歌詞が入り混じっていたりするために…
歌詞が一回では聞き取れず、なおかつよく聞き取れなくてもいいという前提の上で作られているものが結構あるようです。
聞き取れたとしても意味がわからない…それでもOKという場合もあり。
小倉唯さんの場合もそういう意識はあるみたいで、特に歌詞の「意味」についてはご本人が…
「なるべく何通りもの解釈ができる歌詞を書こうと思っている」と言っていたことがありました。
ダブルミーニングなどに限らず、聞いた人が自分の中で自由に想像して、意味を拡げてもらっていいということ。
たとえそれが、書き手が全く想定していないものであっても、それはそれで面白いという。

また「できれば歌詞をじっくり読み込むことをしてほしい」とも。
それをするということは、CDを買ったりサブスクアプリでストリーミングしなければいけないので、送り手の収益につながるという効果もあるのですが。
これはどんな意味なんだろうと考えさせたり、何ならスマホの検索機能などで調べてもらえれば…という意図もある様子。
それ自体については賛否両論あるでしょうが、ある種、現代的な手法、考え方でもあると思います。
たとえば小倉唯さんのミニアルバムの収録曲『きょんきょん♡らぶぽーしょん』の中には「(桃の木鏡も)やめて!」というフレーズがありますが…
桃の木や鏡が、この歌の「語り手」であるキョンシーが苦手な物だというのは、調べないと分からなかったりします。
またこの歌の英語の部分に関しては、一種のライムのようになっていますが、意味はあまりなくて、ただ音感を重視して作られているようです。
唯さんに関していえば、言葉を「コール」と読ませたり、愛という漢字を「ハート」と読ませたり、という読み替えも好きみたいですね。
一応この歌のリンクを置いておきます。
また、たとえば「True Path」という曲の歌詞の中に出て来る「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉などは…
ぱっと聞いても意味が分からない人が多々いるということを前提にして書いていて…
歌詞を読んでもらって、さらに分からなければ調べてもらう、という前提なのだと思われます。
(このブログをここまで読んだような方なら、知っている言葉でしょうけれど)
また彼女は「☆」とか「♡」などをタイトルや歌詞の中に使いがちですけれど…
これも適当に付けているわけではなく、相当にこだわって使っていて、あくまでも歌詞を「読んでもらう」ことを前提にしているみたいです。
ところで、同じミニアルバムに入っている「治癒治癒ちゅっ♡」という曲の、MVのコメント欄に…
《ちりょうということばを「ちおちお」みたいに発音しててなんかかわいい》
という書き込みをしていた人がいました。
タイトルにもある「治癒」という漢字を読めなくて「ちりょう」と読んでしまったようです。
この歌詞は小倉唯作詞ではなくて、佐々木喫茶さんの作ですが、治癒という字を読めない人がそれなりにいるということを前提にあえて書いたのでしょうか。
それとも、想定外だったのか。
佐々木喫茶さんはマーケティングには長けた人だと思うので、読めなくても音感と字面で惹きつけられると見たのかもしれません。
最近の、特にアイドルポップスを作る人には、彼らの曲の「消費者」には知的なリソースがあまり多くないことを前提にして曲を作っている場合があるので。
(つまりかなーりおバカな人が多く、そういう人にも刺さるような曲をやろう、というマーケティング)
典型的な例が、CUTIE STREETというアイドルグループの「かわいいだけじゃだめですか?」という曲。
《取り得ないけど顔がかわいいのも 才能だと思って優しくしてほしいのです》
《長所を磨け 磨け 磨け かわいさで世界征服!》
《短所も使え 使え 使え ドジなとこもおバカなとこも》
といった歌詞の曲。なので……
《時は戦国 小野小町も 多分本気出してた》
といった歌詞を堂々と出してくる。
これまたこのブログをここまで読んだ人なら、小野小町が日本限定ながら「世界三大美女」のひとりであることと同時に…
戦国時代ではなく平安時代の人だということも知っていることと思います。
でも「時は戦国 小野小町も…」と来るおバカさが、この歌詞の肝なのでしょう。
小野小町が戦国時代の女性でないことを「ガチで知らない」人にも刺さるし、知ってる人にも面白がってもらえる。
そういうマーケティングのもとに作られたものなのだと思います。
《時は平安 小野小町も…》と描いても…
「へーあん?なにそれ?」となる若い人は、おそらく今や、かなり多い。
何なら、令和の前は平成。その前は昭和、まではわかっても、その前は?と訊かれたらわからない。
「んー?江戸時代?じゃないか…えっと戦国時代?あと他になに時代がある?」
となる子、まじめに結構いるんじゃないかと思いますよ。
そういう子にもウケてもらえる曲……じゃないと、そこまで跳ねない。
というか、TikTokとかで「大バズり」させるには、そこまで振り切るのが近道。
というマーケティングの結果、作詞者の早川博隆さんはこの詞を書いたのだと思います。
これもリンクを置いておきます。
小倉唯曲の場合とは、マーケティングの方向性がちょっと違いますけれど。
「こんなバカみたいな歌詞でいいのか!間違ったことを言ってたら誤解を生むだろうが紛らわしい」と思われる方がいるのはわかります。
でも「大ウケ」する戦略というのは、そういうものです。残念ながら。
私が昔、週刊誌の編集部で働いていたころ、元編集長でそのときは会社の役員だったエラい人が部屋のなかを歩きながら…
「いいか、利口なやつも向上心があるやつも、うちの雑誌は読まないぞ!」
と大声で訓示を垂れていたものです。
役に立つ記事、何かのためになる記事はいらない、ひたすら下世話なゴシップと人の悪口が大好きな層に向かって作れ、ということ。
「いやだな」とは思いましたが、それがマーケティングというもので、結果その週刊誌は100万部超という、当時いちばんたくさん売れている雑誌になっていました。
(漫画誌の「少年ジャンプ」を除けばですが)
ほんとに残念ですが、資本主義社会で利潤を究極まで追求するというのは、そういうことなんだと思います。
現実に「いい本」より「下世話でくだらない本」の方が、より稼いではいた。
それが資本主義なんです。
音楽で言えば「おバカな曲」は「いい曲」よりも強い。
そういう時代なのかもしれません。
あ、ちなみにこれからの時代「かわいいだけじゃだめ」なのかというと…
やはりだめだと思います。
そもそも「CUTIE STREET」の皆さん自体、かわいいだけではあのパフォーマンスをして、あの位置に居られないです。
パフォーマンスを磨く努力をする力、いろんな嫌なことを我慢する忍耐力…いろいろ必要。
そうでなければ売れても一瞬だし、ほんとに「かわいいだけ」の子がいたとしても、すぐに問題を起こすか、耐えられなくなって辞めることになるでしょう。
(アイドルグループにはそういう人も確かにいます)
そして、本当におバカで外見以外に何も取り柄のない人は、これから衰退していく国家の国民としてどうか。
まあ…男女を問わず、売春とか、臓器売買、人身売買など「自分の肉体を売る」ことで身過ぎ世過ぎをするしかないと思います。現在の最貧国のように。
かわいいことだけが長所でも生きて行けるのは、他の長所がある人々と共存しているから。
平和で安定した、豊かな社会でだけ「かわいいだけじゃだめですか?」なんていう…
のんきなセリフが通用するのだということを忘れちゃいけないです。
※追記 書き終わって風呂に入りながら考えたのですが「かわいいだけじゃ…」の歌詞に例として出て来るのは、小野小町、クレオパトラ(たぶん7世)、そして楊貴妃じゃなくマリリン・モンローですけれど、みんな「かわいいだけ」じゃなく才と運にも恵まれた人ですね。しかも全員が悲劇的な、もしくは寂しい最期を遂げている。かわいいから人生優勝!とはいかなかった。そしてついでに楊貴妃も。やっぱり時代がどんな風でもかわいいだけじゃだめだし、なんなら美人であることは幸福の妨げになる場合の方が多いのかもしれません。
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