私は合理的な物の考え方を好みますけれど…少なくともそうしたいと思ってはいるのですけれど…
実際は情に流されやすい人間です。
同時にいわゆる「唯物論者」ではありません。ですからひとは「お前はサヨクだ」というかもしれないですけれど、本物の左翼ではないです。
なので公的な場面においてはオカルトを忌避しながら、個人的には超自然的なものも否定しないし、むしろ結構そういうものに左右される場面が時折あったりします。
一昨日まで東京や横浜地域はいわゆる七月盆でした。お墓参りに行ったことはブログにも書きました。
そのお盆に入る日の夜中、ちょうど日をまたぐ頃、妻が風呂に入っているとき、急にふと花のような甘い良い香りがしました。
その瞬間「あ、お母さんの匂いだ」と思いました。
幼いころ、母に甘えてくっついたときにした匂いだと思い出したのです。
おしろいだったのか、何か香水のようなものだったのか……
当時は「おしろい」と思っていた気がします。
いつも家のなかでしている妻の匂いとは全く違う匂い。
たしかに、遠い記憶につながる匂い。
自動的に「お母さんが来てくれたのかな」と思いました。
母からはいつも「私はお墓にはいないから。仏壇で語りかけて」と言われているような気がするのですが…
そしていつも、母は生きていたころ以上に、いつも心の近いところにいると思うのですが…
このとき、なぜ改めて「来てくれた」と思ったのでしょう。
改めて振り返ってみると、母のこの匂いは、晩年の母からはしないものでした。
私の幼児期から小学校の低学年ぐらいまでだけ、かいだ匂い。
そのころだけ母が使っていた、何か香りのするものがあったのかもしれません。
半世紀ぶり以上に感じたその匂いに、自然に涙が出て来ました。
母に対する心からの感謝の思いで。
最晩年まで、母のことを毒親だと思って恨んできたところがあって。
でも振り返ってみると、過干渉な親ではあったけれど、いつも無私といって良いほど子のことを思って、文字通り献身的に尽くす母でした。
そのことのありがたさ、尊さを分からなかった私は本当に愚かでした。
思えば、小学校5年生の時にあった、たった一度の母の言葉の過ちを許せないまま、ずっと来てしまっていたのでした。
そして亡くなった後にわかった、母の壮絶なまでに不運な若い時代。
夫や息子に若い頃の話をほとんどしなかったのは、それが思い出すのもつら過ぎることだったから、完全に心に蓋をしていたのでしょう。
私が彼女だったらとても生きてはいられず、どこかで自ら命を絶っていたと思います。
それでも必死に生き抜いて、私に命をつないでくれました。
今母に会うことが出来たら、背中をさすって「大変だったよね」と慰めてあげたい。
そして私が生まれてこなければ、あの息子もこの世に出て来られなかったわけです。
今は一切のわだかまりなく、心から「お母さんありがとう」「いろいろごめんなさい」と言えるし、毎日仏壇に向かってそう言っています。
そして母の臨終に際して、命消え行く母に向かって、最期にそのことを言えたのが、どれほど私自身にとっても救いになっていることか。
母にとっても、そうであることを願っています。
あれだけつらい経験をした人なのだから、最後はすべてを回収して、救われて旅立ったと信じたいです。
なぜか、このことはお盆が終わるまで書かないで、と母に言われたような気がしたので、今まで書かずにいたのですが…
こうして形に残せてよかったです。
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