先週の土曜日に亡き母の一周忌法要と納骨式を終えたばかりですが、今日はまた喪服を着ることになりました。
義母の妹(妻の叔母)が亡くなって、その葬儀があり、私は結婚式を含めて二度お目にかかったことがあるだけのご縁なので、出席は控えるはずだったのですが…
義母が最近帯状疱疹を患ってからまだ本調子になっておらず、電車とバスで多摩の方の斎場へ行くのは厳しく。
妻が車で連れて行くにも、以前ペッピーノさんを運転して擦ってしまってから自信をなくして「大きい車」は運転したくないと。
(軽自動車か、せいぜいコンパクトカーぐらいしか自信がないようです)
しかも初めて行く場所でなおさら不安感が強すぎるということで、私が運転手として二人を連れて行くことになったのです。
まあ、もはや私には車の運転ぐらいしか、人のお役に立てるスキルはなく。
また初めて通る道を運転するのは好きなので、それ自体は苦ではありませんでした。
結果、沿道の並木のプラタナス、いちょう、その他の黄葉紅葉がきれいなのを眺められたので、よかったです。
出棺のとき棺をかつぐとき、痛めていた腰が心配だったのですが、なんとか大丈夫だったし。
義母も喜んで感謝してくれたので、よかった。
お年寄りで、いつ行かれてもおかしくないという状態で延命していた時間が長かった方なので、悲痛なお葬式でもありませんでしたし。
それにしても、喪服の出番がひっきりなしで。
この歳になって来ると、そういう機会が多くなるものかもしれません。
まあ「次」が自分自身で、喪服はもうこれでおしまい、という可能性もあるのですが。
特に、私の乏しい人生経験の中では、長生きする人は一様に「生きること」への意欲が強いように思われるので…
私みたいに生への意欲も執着も薄い…とても薄い人間は、早くお迎えしていただけそうですし。
身近な人の死に臨んで悲しい思いをするよりは、先に逝ってしまいたい方ですから。
自分勝手ですね。
でも、たとえば配偶者に向かって、自分の最期を看取ってほしいというようなことを望むのも、自分勝手ではないかと思います。
そしてこんな世の中ですから。天然の大災害も、経済の破綻も差し迫り、そして何より戦争の足音が高まっている今ですから、なおさら。
先の十五年戦争では、まともな統一政府さえなく、混乱状態であった中国と戦って、それでもついに勝てなかった日本が…
今この状態で、米国にはしごを外されて(まあそうなるでしょう)あの国と戦争して、どんなみじめな敗れ方をするのかは、火を見るよりも明らかなのに。
言ってやれやってやれ!と盛り上がる地平線バカの気が知れない。
ネトウヨとか、政治家というよりお馬鹿ホイホイの詐欺師がもてはやされるこんな中では、そんなやつらと倶に同じ天を戴くこと自体が癪ですから…
早死には、望むところ。
というか、長生きしたい人の気持ちが私にはわからないです。
なんて生きる意欲を失っている人間が、この天下大乱の時代を生き残れる可能性は低いですよね。
まあ、世の中何が起きるかわからないものではありますが。
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