アルファと私と小倉唯

愛車アルファロメオと声優小倉唯さんのこと、そして私の日常と考えたこと

夢で「性の真実」に気づく

今朝は、自分の怒鳴り声で目覚めました。

 

つまり寝ている間に=夢の中で=寝言で、自分が怒鳴った声の大きさにびっくりして?起きたのです。

 

私にとってはそこまで珍しいことではありません。一般的には、どうなんでしょう?

 

自分の寝言の声で起きてしまうということ、普通にあるんでしょうか?

 

でも朝晩涼しくなって、窓を開けて網戸にした状態で大声で怒鳴っているわけですから、近所というか、マンションの近隣の部屋の人には聞こえたでしょうね。

 

妻によると相当にはっきりした口調、とても寝言とは思えない感じの寝言を言うそうなので…

 

近所の人には、寝言ではなく普通に家人とかに向かって、朝っぱらから怒鳴っているのだと思われたでしょう。

 

恥ずかしい。

 

妻は「普段相当に、精神的に抑圧されてるからなんだろうね」と言います。

 

そうね、あなたに対する我慢も含めてね…という言葉は呑み込みます。笑

 

でもそれ以上に、いい人であらねば、ジェントルマンでなくては、みたいな自己抑制の結果の方が大きいかな。

 

そしてそれ以上に、世の不正や理不尽に対する怒り、それをどうにもできない自分自身に対する怒り。

 

その怒りの持って行き場がないことが、一番大きな抑圧ですね。間違いない。

 

とくに、近年、というか去年の後半あたりからさらに深まって来た「人と人との間を分断させようとする力」に対する怒りの、消化がうまくできない。

 

男と女(という分類自体に個人的に大きな疑問がありますが)の間を分断し、差別を温存しようとする力…

 

世代間を分断しようとする力…

 

人種や国籍で分断しようとする力…

 

すべての「分け隔てる」力…

 

人間の性というか「業」みたいなもの。

 

どうしても人と人とを分類し分断して、仲たがいさせて、争わせようとする力。

 

その根源はどこにあるのでしょう。

 

分断されて差別された者が、さらにまた仲間内で分裂してさらに排除迫害する対象を作って。

 

たとえば、差別に抗して戦っていたはずのフェミニストたちが、今度はトランス女性(セクマイ)を差別して排除し、攻撃しているように。

 

とくに第二世代フェミニズムといわれる思潮の影響をいまだに受けている人たち。

 

さらにセクシャルマイノリティの人同士でも、さらに性別やら指向やらで差別対象を作り出して分断差別するし。

 

どこまで行っても終わりがない。

 

人間自体が、デフォルトで救いようのない存在であるかのように思ってしまいます。

 

ああ……。

 

 

話を戻しますが、夢の中で怒鳴る私。夢の中でなら年齢も自由自在で、それに自ら違和感を持たないんですよね。

 

最近よく、中高生になって学校生活をしている夢を見ます。そして自分で全く違和感がないという。

 

年齢だけでなく、性別まで越えた夢を見たり。

 

笑われると思いますけど、自ら女子高校生になった夢を見たこともありますよ。

 

簡単に性別を変えられる、それで違和感がないというのは、やはり自分の中に中性的な部分があるからだと思います。

 

「男だけど女の気持ちがわかる」というのとも、ちょっと違う感じ。

 

ノンバイナリーという考え方がありますけれど…

 

(今は何でもすぐ検索できるので、なんのこっちゃと思う方は、ネット検索してみてください)

 

いずれにしても、やっぱり男女というのはきっちりと両方に分けられるものではなくて(文化的にも生物学的にも)…

 

グラデーションになっている特性なのではないかなと。

 

私なんかは、結婚して息子もいるのですから、男性の範疇に入ることは否定しませんけれど…

 

かなり「真ん中より」の方なのではないかなと思うんですよね。

 

そして同じ個人(個体)でも、時間とともにその偏りは変化するのではないか、と仮定します。

 

実際、中高生のころは同性に恋愛感情や性欲を感じていた時期がありました。

 

少し前までは、思春期に自慰行為を母に咎められて、折檻されたのが原因だと思っていたのですけれど…

 

この歳になって、夢の中でガチで女の子になったり、やはり昔みたいに男として男の子に恋したりすることもあり…

 

そうしてみると私自身の本質的な性指向に、そうした「中間的」な部分があるからなのではないか、と思うようになっています。

 

性指向や性自任、セクシュアルマイノリティについて、勉強しすぎたせいでそんな風になっちゃったんじゃないか、という人もいるでしょうけれど…

 

何の知識もないうちにも、そうなっていた「時期」が、むかし現にあるのですから。

 

そう考えると、セクシャル「マイノリティ」というカテゴライズ、概念自体にも、疑念が生じて来ます。

 

性指向・性自任というのは、個体により千差万別で、また時期により可変性のあるもので…

 

ただ文化的な性バイアスを中心として、その他の物理的影響などが複合的に絡み合って生み出されるものなのではないかな、と。

 

性指向や性自任が先天的なものだとしても、文化的なものだとしても、いずれにしても「正常化」「治療」しようとする圧力が、あらゆる社会に、常にあります。

 

原因が特定できるのなら、いずれにせよそれを断って「正常化」「治療」すべきだと。

 

それが、いろんな性指向あるいはまた性自認の人の権利や、体や、心を抑圧することになります。

 

(身体の問題、インターセックスの人も含め)

 

誰も迫害しない、抑圧しない社会を実現しようとすれば、このことについての「複雑さ」を認めて…

 

マイノリティだマジョリティだということさえも、問題化しないことにする。

 

それしかない。

 

そういうことにも、夢を通じて気づかされています。

 

自分自身の性指向についての、重いカミングアウト?いやいやいや……

 

そういう考え方自体が、分断と差別を生み、人が人を迫害するもとにはあるのだと思いますよ。

 

自分の性自認、性指向、身体的性の問題を、ひとに説明することを「重い」とか何とか考えなくて良い社会を目指す…

 

そこから変えませんか?